きーちゃんの日常

30代ワーママの日常をつらつらと

もう3月11日なのか

今日は3月11日。東日本大震災から13年が経ちましたね。

13年前、私は大学の卒論を進めるために、友達と図書室でうんうん唸っていました。

図書室に飛び込んできた他の同級生が開口一番テレビ見てみろ!!と語気強めに言ったので慌ててテレビを覗いたら…あの惨状が広がっていました。瞬く間に津波に飲み込まれていく街を見た時のショックは忘れられません。

あれからもう13年。静かに黙とうを捧げました。

 

今年…石川県能登地方を襲った大地震

私の地元でした。

私は今県外に住んでいますが、元旦に起きた地震は体感するととても大きく、私のいる地域が震源地かと思いテレビを付けました。

 

テレビから流れてくる情報に息が止まりました。

震度の大きな揺れが何度も襲い、津波特別警報が出た時には、東日本のようになってしまうのかとパニックで涙が溢れました。

震源地付近にいる父親とはなかなか連絡が取れませんでした。

少し離れた場所にいる妹や友人と連絡を取り合い、またパニックになりそうな自分をなんとか治めようとしました。

父親と電話できたのは1月4日の昼。仕事の休憩中でしたが、声が聞けた瞬間安堵で涙が止まりませんでした。命があってよかった…でも家は全壊となりもう住める状態ではなくなってしまいました。

私の周りの親戚や友人は奇跡的にみんな無事でした。本当に良かった…

 

日を追うごとに震源地周囲の損壊状況が見えてきました。

どの映像を見ても寸断された道路、多数の倒壊家屋、焼き尽くされ終戦後かと見間違う焼け野原…

ここは本当に私の過ごしたあの能登なのか…?何度も思いました。見慣れた景色のあまりの変わり果てた姿に言葉がありませんでした。

昨年は奥能登国際芸術祭が開催され、奥能登をめぐり、やっぱりいいところだなって感じた矢先だったのに。新しい珠洲になっていくんだと思っていたのに。

テレビやTwitterにかじりついて情報を追いたいけれど、流れてくる惨状に参っていました。

 

今、地震発生から2カ月以上経過しています。

まだ私の実家付近は断水状態、お風呂もトイレも食料も、瓦礫の山も仮設住宅もまだまだ問題は山積です。

それなのに連日放送されるのは金権政治、腐敗政治、バラマキ、脱税、増税

頭が痛くなる。

本当に血が通ってるのか?と疑いたくなる無法地帯…

どう考えてもおかしい。見捨てられてるのか?とさえ思ってしまう。

しかしこのような悲惨な中でも、命を繋いだ方たちの生活は続いています。一生懸命毎日を生きてます。

今回の震災だけでない、先の大震災、大雨土砂災害、洪水被害

まだまだ復興途中のところだってたくさんある。

政府には早急に、みんなが普段の生活を取り戻せるように尽力してほしいです。切実に願います。

裏金作って遊んでる場合じゃないぞと、心の底から、思ってます(だいぶオブラートに包みました)。

愚痴になってしまいすみません。でも書かずにはいられない。

私は私で、自分ができること、寄付など小さいことでも取り組んでいきたいです。